「上司が何も教えてくれない」「ミスをするたびに『センスがない』と言われる」——そんな状況が続いているなら、それはパワーハラスメントです。仕事を教えないまま責め続ける行為は、厚生労働省の指針でパワハラと認定される要件を満たしており、法律で会社に対応が義務づけられています。
この記事では、パワハラの認定基準・今日からできる証拠の記録方法・人事部や労働基準監督署への申告手順を、法的根拠とともに実務レベルで解説します。一人で抱え込まず、正しい手順で動き出しましょう。
「仕事を教えない」「センスがない」はパワハラに該当する
厚労省が定めるパワハラの3要件
パワーハラスメントは、2019年改正の労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)第30条の2に初めて法律上の定義が明記されました。厚生労働省の指針(令和2年厚生労働省告示第5号)によると、以下の3つの要件すべてを満たす行為がパワハラに該当します。
| 要件 | 内容 |
|---|---|
| ① 優越的な関係の濫用 | 上司・先輩という立場上の力を背景にした言動 |
| ② 業務上の必要性・相当性を逸脱 | 業務遂行に必要な範囲を超えた、または業務に関係のない言動 |
| ③ 就業環境を害する | 身体的または精神的な苦痛を与え、職場環境を著しく悪化させる |
「仕事を教えない+センスがないと責める」という行為は、この3要件をすべて満たします。
「指導放棄」がパワハラになる理由
厚労省指針は、パワハラの6類型を定めています。仕事を教えずに責める行為は、このうち複数の類型に同時に抵触します。
「過小な要求」(業務遂行に必要な指導を意図的に行わない)に加え、「センスがない」という繰り返しの発言は「精神的な攻撃」(人格否定・侮辱的な言動)に該当します。仕事を覚えられない状態を意図的に作り出したうえで責め続けるという構造は、判例上も「指導の放棄」として明確にパワハラと認められています。
重要な判断ポイント: 「教えてもらえないから失敗した」という状況での叱責は、業務上の必要性を完全に欠いた行為です。上司が部下の成長を阻害しながらその結果を攻撃するという行動パターンは、悪意の有無にかかわらず違法行為として扱われます。
会社には対応義務がある
パワハラ防止法により、大企業は2020年6月から、中小企業も2022年4月から、すべての事業主にパワハラ防止措置の実施が義務づけられました。相談窓口の設置、再発防止措置、行為者への適切な対処は法的義務であり、会社が対応しない場合は厚生労働大臣による指導・勧告・企業名公表の対象となります(同法第33条)。
今日から始める証拠の記録方法
証拠は、申告・交渉・訴訟のいずれの段階でも勝負を決める要素です。「記録を残すほどのことでは……」と感じる方も多いですが、記録がなければ「言った・言わない」の水掛け論になります。感じた瞬間から記録を始めることが、自分を守る唯一の手段です。
被害日記(ハラスメント記録ノート)をつける
最もシンプルかつ強力な証拠が、被害日記です。毎日の出来事を以下のフォーマットで記録してください。スマートフォンのメモアプリでも、紙のノートでも構いません。重要なのは日時・発言内容・状況・自分の反応を具体的に残すことです。
【記録フォーマット】
日時:○年○月○日(○曜日)午前/午後 ○時○分頃
場所:○○オフィス ○○フロア(または会議室○号室)
発言者:上司○○(役職:○○課長)
発言内容:「お前はセンスがない。こんなこともわからないのか」
状況:新しい業務フロー(○○作業)の説明を求めたが「自分で考えろ」と言われ、
マニュアルの場所も教えてもらえなかった。他の同僚(○○さん)も同席。
自分の状態:業務を遂行できず、翌日も同じ失敗が発生。精神的に動揺した。
記録のコツ:
– 発言は「できるだけ一字一句そのまま」書く。要約しない
– 「〜な気がした」ではなく「〜と言われた」「〜をされた」と事実のみを書く
– 記録した直後にメールで自分宛に送信しておく(タイムスタンプが付く)
– 週1回、日記全体をPDFなどで外部ストレージ(自宅PC・個人クラウド)にバックアップする
録音・スクリーンショットを活用する
会話の録音: 日本では、自分が会話の当事者である場合、相手の同意なく録音しても違法にはなりません(ただし第三者の会話を無断録音することは別問題)。スマートフォンのボイスレコーダーアプリを使い、上司との1対1の面談・指示・叱責の場面を録音しておきましょう。
録音時の注意点:
– スマートフォンはポケットやバッグに入れたまま録音を開始できる
– ファイル名に「日時+内容の概要」を記入して保存する(例:20250101_課長発言_指導拒否)
– 録音データは必ず会社のシステムとは切り離した個人端末・個人クラウドに保管する
メール・チャット履歴のスクリーンショット: 「報告書の書き方を教えてください」と質問したのに無視された、または「自分で考えろ」と返信された記録は、指導放棄の直接証拠になります。会社のメールシステムは退職・休職時にアクセスできなくなる可能性があるため、スクリーンショットを今すぐ個人端末に保存してください。
医療記録・診断書を取得する
精神的苦痛の証拠として、医療機関の診断書は極めて重要な証拠になります。
今すぐ行動: 睡眠障害・食欲不振・不安感・気力低下などの症状がある場合は、精神科または心療内科を受診してください。受診の際は「職場の上司から指導を受けられないまま責め続けられており、精神的に追い詰められています」と具体的に状況を伝えましょう。
- 診断書に「職場環境に起因する適応障害(またはうつ病)」と記載してもらうと申告時に有利になります
- 初診日が「いつからパワハラによる被害が生じていたか」の起算点となります
- 診断書のコピーは複数枚作成し、原本は自宅で保管してください
目撃者・協力者の確保
同僚が現場に居合わせていた場合、その人の証言は強力な証拠になります。ただし、職場での立場を守るために無理に巻き込むべきではありません。「同席していたことを証言してもらえますか」と打診し、快諾してもらえた場合は氏名・役職・連絡先を記録しておきましょう。
社内での申告手順——人事部・コンプライアンス窓口への相談
証拠が揃ったら、次のステップは会社への正式な申告です。社内での解決を先に試みることで、「会社に是正を求めたが対応しなかった」という記録が残り、後に労基署や裁判所に申し立てる際の根拠にもなります。
人事部・コンプライアンス窓口への相談
社内の人事部(HR)またはコンプライアンス窓口に相談します。相談の際は、以下の点を守ってください。
相談は必ずメール(または書面)で行う: 口頭のみの相談は「相談した記録」が残りません。メールで「○月○日に○○課長から以下の行為を受けました。パワハラとして調査・対応を求めます」と書面で申告することが重要です。
相談メールの構成例:
件名:パワーハラスメント被害の申告について
人事部 ご担当者様
○○部 ○○と申します。
直属上司である○○課長より、継続的なパワーハラスメントを受けており、
正式に申告いたします。
【被害の概要】
期間:○年○月~現在(○ヶ月間)
行為の内容:
・業務上必要な指導・説明を一切行わないまま、ミスを繰り返し叱責
・「センスがない」「こんなことも分からないのか」等の人格を否定する発言
・他の同僚(○○さん)が同席した状況でも同様の発言あり
【証拠】
・被害日記(○月○日〜○月○日分)
・録音データ(○月○日分)
・メール履歴(添付)
・心療内科受診記録(○月○日初診)
上記について、速やかな調査と適切な対応をお願いいたします。
また、報復行為の防止についても措置を講じるようお願いします。
○○(氏名)
○○部 ○○課
連絡先:(個人メールアドレス)
相談後の注意点:
– 相談した日時・担当者名・対応内容を必ず記録する
– 「調査中」のまま1〜2週間以上放置された場合は、進捗を書面で問い合わせる
– 相談を理由とした不利益取扱い(降格・配置転換など)はパワハラ防止法違反であることを認識しておく
会社が動かない場合の対応
社内申告から2週間以上経っても具体的な対応がない場合、または「被害者側の問題だ」として取り合ってもらえない場合は、外部機関への申告に移行します。
外部機関への申告手順——労基署・都道府県労働局
社内での解決が難しい場合や、すでに心身の状態が限界に近い場合は、迷わず外部機関に相談してください。外部への相談は会社への「裏切り」ではなく、労働者に認められた正当な権利です。
総合労働相談コーナー(都道府県労働局)
最初の相談窓口として最適です。 全国の都道府県労働局および労働基準監督署内に設置されており、予約不要・無料で相談できます。
- 対象: 解雇・いじめ・パワハラなどあらゆる労働問題
- できること: 状況の整理、アドバイス、「個別労働関係紛争解決制度」(調停・あっせん)の申請
- 電話番号: 各都道府県労働局(厚生労働省HPで検索可能)
今すぐできるアクション: 「総合労働相談コーナー + 都道府県名」で検索し、最寄りの窓口に電話または来所予約を入れてください。
労働基準監督署への申告
会社が法令違反をしている場合(パワハラ防止措置義務違反、安全配慮義務違反など)に、労働基準監督署(労基署)に申告することができます。労基署は会社に対して調査・指導・是正勧告を行う権限を持っています。
申告時に持参するもの:
| 書類 | 内容 |
|---|---|
| 申告書(労基署の様式) | 窓口でもらえる、または厚労省HPからDL |
| 被害日記のコピー | 日時・発言内容・状況を記録したもの |
| 録音データ(USB等) | 可能であれば文字起こしも添付 |
| 診断書のコピー | 医療機関が発行したもの |
| 会社との往復メールのコピー | 社内申告の記録 |
| 就業規則のコピー | ハラスメント関連の規定箇所 |
申告のポイント: 「指導放棄パワハラにより精神的苦痛を受け、適応障害と診断されています。会社はパワハラ防止法上の対処義務(労働施策総合推進法第30条の2)を履行していません」と具体的に伝えましょう。
都道府県労働局長による紛争調整(あっせん)
会社に対して対面での話し合いによる解決を求める場合、都道府県労働局長による紛争解決援助(あっせん)を申請できます。弁護士費用が不要で、非公開で行われるため、費用をかけずに早期解決を目指せる手段として有効です。
職場環境改善請求という権利
「申告」という言葉に萎縮してしまう方も多いですが、「職場環境改善請求」は労働契約法に基づく正当な権利行使です。
法的根拠
労働契約法第5条は、使用者(会社)に対して「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする」安全配慮義務を課しています。指導放棄型パワハラによって精神的苦痛を受けている状態は、この安全配慮義務違反に直接該当します。
また、民法第415条(債務不履行)または民法第709条(不法行為)に基づき、上司個人および会社(使用者責任:民法第715条)に対して損害賠償を請求する権利もあります。
職場環境改善請求で求められること
会社に対して、以下の改善措置を書面で求めることができます。
- 行為者(上司)に対する指導・懲戒処分の実施
- 自分と行為者の部署分離・担当替え
- 再発防止のための研修実施
- 精神的苦痛に対する謝罪および慰謝料の支払い
- 業績評価の公正な再評価(不当な低評価の是正)
書面で請求することの重要性: 口頭での要求は「言った・言わない」になります。必ず内容証明郵便またはメール(送信記録が残るもの)で請求してください。内容証明郵便は郵便局で送付でき、送付した事実と内容が公的に証明されます。
弁護士・専門機関への相談タイミング
社内申告・労基署への申告と並行して、または状況が深刻な場合は優先的に、弁護士への相談を検討してください。
弁護士相談が必要なケース
以下に1つでも当てはまる場合は、すぐに弁護士に相談することをお勧めします。
- 診断書が出ており、休職・傷病手当の申請が必要
- 会社から「自己責任だ」「被害妄想では」などと言われている
- 申告後に降格・給与カット・不当な配置転換などの報復があった
- 退職を強要されている
- 損害賠償請求を検討している
無料相談を利用する
費用の不安から弁護士相談を躊躇する必要はありません。以下の無料相談制度を活用しましょう。
| 相談先 | 費用 | 特徴 |
|---|---|---|
| 法テラス(日本司法支援センター) | 無料(収入要件あり) | 電話0570-078374、弁護士紹介も可能 |
| 弁護士会の法律相談センター | 30分5,500円程度 | 各都道府県弁護士会が運営 |
| 社会保険労務士(社労士) | 初回無料の事務所多数 | 労務問題の専門家、申告手続きの代理も可 |
| 都道府県の労働相談窓口 | 無料 | 各都道府県が設置 |
| NPO・労働組合 | 無料 | ユニオン(個人加入型労働組合)への加入も選択肢 |
労働問題を専門とする弁護士を選ぶポイント: 初回相談で「パワハラ事件の解決実績」を確認し、着手金・成功報酬の料金体系を明確に確認しましょう。多くの労働事件は「成功報酬型」で受任してもらえます。
自分を追い詰めないために——今すぐできるセルフケア
法的対応を進めながら、自分の心身を守ることも同じくらい重要です。
今日できること:
– 信頼できる家族・友人に「今、職場で困っていること」を話す
– 睡眠・食事を意識的に整える(判断力の低下を防ぐ)
– 症状がつらい場合はまず診断書を取得し、有給休暇や休職制度を利用する
– 「自分がおかしいのかも」という自己否定を止める——あなたを追い込んでいる行為が間違いです
重要: 休職中に受け取れる傷病手当金(健康保険から給与の約3分の2を最大1年6ヶ月支給)の制度があります。申請方法は会社の総務部または加入している健康保険組合に確認してください。
よくある質問
Q1. 「センスがない」の一言だけでパワハラになりますか?
一回の発言だけでは認定が難しい場合がありますが、繰り返し・継続的に行われている場合はパワハラとして認定される可能性が高いです。特に「指導をしない状態で責め続ける」という行為のパターンが伴っている場合、一連の行為全体が評価されます。発言のたびに被害日記に記録しておくことが重要です。
Q2. 上司に悪意がなければパワハラにならないのでしょうか?
悪意・故意の有無はパワハラの認定に関係ありません。 厚労省指針は「行為者の意図」ではなく「行為の結果として精神的苦痛が生じているか・職場環境が害されているか」を基準としています。「指導のつもりだった」「厳しくしているだけ」という言い訳は法的には通用しません。
Q3. 証拠がほとんどない状態で申告できますか?
申告自体は証拠がなくてもできます。ただし、証拠の有無は申告後の認定・交渉・訴訟の段階で大きく結果を左右します。今からでも記録を開始し、申告と並行して証拠を蓄積することを強くお勧めします。記憶が新鮮なうちに被害日記を書き始めてください。
Q4. 申告したら会社での立場が悪くなりませんか?
申告を理由とした不利益取扱い(降格・減給・嫌がらせなど)はパワハラ防止法で明確に禁止されており、違反した会社は厚労省から指導・勧告を受けます。申告前後で自分への扱いが変化した場合は、その事実も記録し「報復行為」として追加申告の対象にしてください。
Q5. 退職後でも申告・請求はできますか?
できます。 退職後でも、在職中の被害について労基署への申告・民事上の損害賠償請求が可能です。ただし、民事の不法行為に基づく損害賠償請求権には「損害及び加害者を知った時から3年」(民法第724条)という消滅時効があります。退職後も時間を置かずに相談することをお勧めします。
Q6. 同じ上司に悩んでいる同僚がいます。一緒に申告できますか?
複数人による連名申告は有効です。 同一の行為者による複数被害者の申告は、個人の申告よりも認定力が高まります。ただし、申告前に互いの証言が食い違わないよう事実確認をすり合わせておくことと、同僚を巻き込むリスクについても十分に話し合ってから進めてください。
対応フローのまとめ
状況に応じて、以下のフローで行動してください。
【今日】
□ 被害日記を始める(日時・発言内容・状況を具体的に)
□ メール・チャット履歴をスクリーンショットで保存
□ 録音アプリを設定する
□ 心身に不調がある場合:心療内科・精神科を予約
【1週間以内】
□ 被害の証拠を整理・保管
□ 社内の人事部/コンプライアンス窓口にメールで申告
□ 信頼できる同僚に証言協力を打診
【社内対応が不十分な場合】
□ 都道府県労働局の総合労働相談コーナーに電話
□ 労働基準監督署に申告書類を準備
□ 弁護士または社労士の無料相談を予約
【深刻な場合・損害賠償を検討する場合】
□ 弁護士に正式依頼(法テラスの無料相談から)
□ 傷病手当金の申請手続きを開始
□ 都道府県労働局長によるあっせん申請
まとめ:一人で抱え込まず、記録と申告で権利を守る
「仕事を教えてもらえない」「センスがないと繰り返し責められる」——この状況はあなたの問題ではなく、法律が禁じるパワーハラスメントです。
対応の核心は3点です。
- 今日から証拠を記録する(被害日記・録音・医療記録)
- 書面で会社に申告する(メールで記録を残す)
- 社内が動かなければ外部機関を使う(労基署・都道府県労働局・弁護士)
一つひとつの手順は難しくありません。まず今日、被害日記の1行目を書くことから始めてください。その記録があなたを守る最初の盾になります。パワハラの早期対応は、あなたの心身を守り、同時に職場全体の改善へつながる重要な行動です。躊躇せず、今すぐ一歩を踏み出しましょう。
本記事は法的情報の提供を目的としており、個別の法律相談の代替となるものではありません。具体的な対応については、弁護士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。

