過労が続いた末に脳卒中を発症したにもかかわらず、会社から「既往歴があるから業務外だ」と言われた――そんな状況に置かれた方、またはそのご家族の方がこの記事を読んでいるかもしれません。
結論から言います。既往歴があることは、労災申請を諦める理由にはなりません。
脳卒中と過労の関係は、厚生労働省の公式な認定基準によって明確に規定されており、高血圧や動脈硬化などの既往歴があっても、業務による過重負荷が発症に寄与していれば労災認定を受けられる可能性があります。この記事では、業務起因性の立証に必要な証拠の集め方、申請手順、そして相談先まで、今あなたが取るべき行動を順を追って解説します。
会社が「既往歴がある」と主張しても労災申請は可能なのか
「既往歴があれば労災対象外」は会社側の誤解または意図的な誘導
会社が「既往歴があるから業務外の問題だ」と主張することがありますが、これは法律的に根拠がありません。
労働者災害補償保険法(労災保険法)第5条は、「業務上の事由による労働者の傷病等」を保護対象とすると規定しています。ここで重要なのは、既往歴の有無ではなく、業務と疾病発症との間に因果関係があるか否かという点です。
最高裁判所の判例(最判平成8年1月26日など)においても、業務起因性の判断においては「業務が発症の相当因果関係の一因となっていれば足りる」という考え方が確立されています。つまり、高血圧や糖尿病などの基礎疾患があったとしても、業務による過重な負荷がなければその時期に発症しなかったと認められるならば、業務起因性は認められます。
この法理を「相当因果関係説」といい、脳卒中のような脳血管疾患の労災認定においては特に重要な概念です。
厚労省通達「基発第1063号」が業務起因性の判断基準
脳卒中(脳血管疾患)の業務起因性を判断する根拠として最も重要な公式文書が、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成13年12月12日基発第1063号)です。この通達は令和3年9月に改正されており(基発0914第1号)、より労働者側に有利な内容に更新されています。
この通達では、業務起因性が認められる過重業務を以下の2つの類型で整理しています。
① 発症直前・直後の異常な出来事による発症
発症直前から前日にかけて、「極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷」や「急激で著しい作業環境の変化」などが認められる場合です。
② 発症前の長期間にわたる過重な業務による発症
発症前の一定期間における業務負荷の総量を評価するもので、特に重要なのが以下の時間外労働の目安です。
| 期間 | 時間外労働の目安(業務起因性が強く推認) |
|---|---|
| 発症前1ヶ月 | 月100時間超 |
| 発症前2〜6ヶ月 | 各月平均80時間超 |
この数値はいわゆる「過労死ライン」として知られていますが、令和3年の改正により、この水準に至らない場合でも「業務の質的な負荷」(深夜勤務、出張の頻度、精神的ストレスなど)を総合評価することが明記されました。既往歴がある方にとっても、業務負荷が発症を促進・増悪させたと評価されれば認定につながります。
業務起因性を立証するために必要な証拠の種類
業務起因性を立証するためには、「業務の過重性」と「医学的因果関係」の両面から証拠を積み上げることが必要です。
業務の過重性を示す証拠
まず、発症前の業務がいかに過重であったかを客観的な数値と事実で示す必要があります。
時間外労働・勤務時間の記録
最も重要な証拠は勤務時間の記録です。以下の書類を可能な限り収集してください。
- タイムカード・出退勤記録のコピー(会社に開示請求できます)
- PCのログイン・ログオフ記録(IT部門や会社へ開示請求)
- スマートフォンのGPS記録や通話履歴
- 業務メールの送受信履歴(タイムスタンプが残業の証拠になります)
- 交通系ICカードの乗降履歴(Suica・PASMOなどのWebサービスで取得可能)
これらの証拠から、発症前2〜6ヶ月にわたる月ごとの時間外労働時間を算出してください。会社が「時間外労働はなかった」と主張しても、ICカードやメール記録があれば反論できます。
業務内容・業務負荷の記録
時間外労働の数値だけでなく、業務の「質的な過重性」も評価されます。以下を記録・収集してください。
- 業務日報・週報・報告書のコピー
- 上司からの業務指示メールやチャット(LINE・Slack・Teamsなど)
- 担当プロジェクトの納期・責任範囲が分かる資料
- 出張記録・移動回数が分かる資料(交通費精算書など)
- 夜間・深夜勤務、休日出勤の記録
同僚・上司などの第三者証言
客観的な証拠として、当時の状況を知る同僚や部下からの陳述書(第三者証言)は非常に有力です。「発症前○ヶ月間、毎日深夜まで働いていた」「休日も呼び出されていた」「食事もとれないほど忙しかった」といった証言を書面でまとめてもらいましょう。
当事者が入院中・療養中でこうした収集が困難な場合、家族やご本人の代理として社会保険労務士や弁護士に依頼することも検討してください。
医学的因果関係を示す証拠
業務起因性の立証において、「医師の意見書」は決定的な意味を持ちます。
主治医による意見書の取得
主治医に対して、以下の内容を含む意見書の作成を依頼してください。
- 診断名(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血など)
- MRI・CT画像所見の説明
- 発症機序の医学的見解
- 業務による過重負荷と発症の因果関係についての見解(「過重な業務がなければこの時期に発症しなかった可能性が高い」など)
- 既往歴(高血圧等)がある場合の、業務負荷による増悪・促進の評価
主治医に対して業務内容を正確に伝えることが重要です。「1ヶ月に何時間残業していたか」「どのようなストレスがあったか」「発症当日の状況」などを具体的に説明したうえで意見書を作成してもらいましょう。
既往歴がある場合の医師への説明ポイント
高血圧・糖尿病・動脈硬化などの既往歴がある方の場合、「業務負荷が既往の疾患を増悪させて発症を招いた」という医学的評価を意見書に盛り込んでもらうことが鍵になります。既往歴がある人が過重労働によって脳卒中を発症するリスクが医学的に高まることは、多くの研究で支持されており、主治医に率直に相談してみてください。
医学的文献・研究報告の活用
必要に応じて、過重労働と脳血管疾患の関係を示した医学論文や、厚労省の「過労死等防止調査研究センター」の報告書を補足資料として添付することも有効です。
証拠収集の優先順位と具体的な行動スケジュール
ここでは、発症後にとるべき行動を時系列で整理します。
発症から48時間以内にすべきこと
入院・療養中は本人が動けない場合が多いため、家族が代わりに動くことが前提になります。
- 主治医に「この疾病と業務の関連性についての意見書を後日作成してほしい」と依頼し、業務内容を詳細に伝える
- 発症時の状況(どこで・何をしていたとき・どのような症状か)をメモに残す
- 発症前後の業務に関するスマートフォン内の記録(メール、チャット、GPS等)を消去されないよう保全する
発症から2週間以内にすべきこと
- 会社に対してタイムカード・出退勤記録・給与明細(残業代が分かるもの)の開示を求める文書を提出する(口頭ではなく書面で)
- 同僚など第三者証言者に声をかけ、陳述書の作成を依頼する
- 社会保険労務士(社労士)または弁護士に相談する(無料相談窓口あり)
- 会社に「業務災害として労災申請を行う意向がある」ことを書面で通知する
発症から1〜2ヶ月以内にすべきこと
- 主治医から医師意見書を取得する
- 勤務記録・業務資料をもとに発症前6ヶ月間の月別時間外労働時間を集計・一覧化する
- 所轄の労働基準監督署に労災保険給付の申請書類を提出する
労災申請の手続きと提出書類
申請先と申請書類
脳卒中の労災申請は、会社の所在地を管轄する労働基準監督署に提出します。会社が申請に協力しない場合でも、労働者本人(または代理人)が直接申請することができます。
主な提出書類は以下の通りです。
| 書類名 | 入手先・備考 |
|---|---|
| 療養補償給付たる療養の給付請求書(様式第5号)または療養の費用請求書(様式第7号) | 労働基準監督署・厚労省HPで入手可 |
| 休業補償給付支給請求書(様式第8号) | 同上 |
| 障害補償給付支給請求書(様式第10号)※後遺障害がある場合 | 同上 |
| 診断書(主治医作成) | 病院で取得 |
| 医師の意見書 | 主治医に依頼して取得 |
| 業務内容・勤務状況に関する申立書 | 本人または家族が作成 |
| タイムカード・残業記録等の写し | 会社から取得または自ら保全したもの |
| 第三者陳述書 | 同僚など関係者に作成依頼 |
会社が協力しない場合の対処法
本来、労災申請書類の一部(事業主証明欄)は会社の署名・押印が必要です。しかし、会社が協力を拒否した場合でも、事業主証明欄を空白のまま提出することができます。労働基準監督署がその旨を確認したうえで調査を進めます。
会社に証明を拒否された場合は、その旨と経緯を申立書に記載し、「事業主が証明を拒否した」と監督署に申し出てください。
また、会社が労災隠しをしていると疑われる場合(「労災を申請するな」などの発言があった場合)は、その言動もメモ・録音等で記録し、監督署への申告または都道府県労働局の総合労働相談コーナーへの相談材料としてください。
不支給決定が出た場合の不服申立て
労働基準監督署の調査の結果、「業務外」として不支給決定が出た場合でも、諦める必要はありません。
- 審査請求(労働者災害補償保険審査官に対して、決定書受領から3ヶ月以内)
- 再審査請求(労働保険審査会に対して、審査請求決定から2ヶ月以内)
- 行政訴訟(再審査請求後もしくは審査請求決定後に提起可能)
不服申立てでは、新たな医学的意見書や追加の勤務記録を提出することで逆転認定を勝ち取った事例も多くあります。特に弁護士・社労士のサポートが有効です。
既往歴がある場合に特に重要な「業務負荷の増悪論」
既往歴(高血圧・動脈硬化・糖尿病など)がある方の事案では、会社や保険会社が「基礎疾患の自然経過による発症だ」と主張するケースが多くあります。これに対して有効なのが「業務負荷による増悪・促進論」です。
この考え方は、「たとえ基礎疾患があったとしても、業務による過重負荷がなければ当該時期に発症しなかったと医学的に評価できるならば、業務起因性は認められる」というものです。
基発第1063号(令和3年改正版)でも、「基礎疾患が存在する場合であっても、業務による過重負荷が自然経過を超えて増悪させたと認められるときは業務起因性を認める」と明示されています。
具体的な立証のポイントは以下の通りです。
医学的立証のポイント
- 既往歴(例:高血圧)が、発症前の業務過重期間中に急速に悪化した記録があるか(定期健康診断の数値の変化)
- 医師の意見書に「業務負荷が血圧の急激な上昇をもたらし発症に至った」などの記載を求める
- 発症時の血圧値・血液検査データと、業務負荷が軽い時期のデータを比較する
業務負荷立証のポイント
- 既往歴が発覚した時期と、業務負荷が増加した時期の時系列を整理する(「高血圧と診断されたのは○年だが、業務量が急増したのは発症の半年前から」など)
- 健康診断の結果票を複数年分並べ、業務負荷増大期に数値が悪化していることを示す
今すぐ相談できる機関・窓口
労働基準監督署(無料・全国)
各都道府県の労働局・労働基準監督署で労災申請の相談を受け付けています。申請書類の入手や手続きの説明を無料で受けられます。
厚生労働省 全国の労働局・労働基準監督署一覧:
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/location.html
過労死ホットライン(無料)
「過労死等に関する相談窓口」(厚労省):0120-794-713
毎年11月の過労死等防止啓発月間を中心に無料相談を実施しています。それ以外の時期は都道府県労働局の総合労働相談コーナーへ。
都道府県労働局「総合労働相談コーナー」(無料)
労働問題全般について、専門の相談員が応対します。会社が労災申請に協力しない場合の対処法も相談できます。
社会保険労務士(社労士)への相談
社労士は労災申請書類の作成・提出代理を行うことができます。初回無料相談を設けている事務所も多くあります。特に「特定社会保険労務士」は審査請求(不服申立て)の代理も行えます。労災申請の専門家として、業務起因性の立証を強力にサポートします。
弁護士への相談
不支給決定後の不服申立てや行政訴訟、会社への損害賠償請求(安全配慮義務違反)を検討する場合は弁護士への依頼が必要です。法テラス(日本司法支援センター)では収入要件を満たす場合に弁護士費用の立替制度があります。
法テラス: 0570-078374(平日9時〜21時、土曜9時〜17時)
よくある質問
Q1. 発症から何年も経ってしまったが、今から申請できるか?
労災保険給付の請求権には時効があります。療養補償給付・休業補償給付は発症日(または各給付の支給事由が生じた日)から2年、障害補償給付・遺族補償給付は5年です。ただし、時効が完成していても「時効の援用が信義則上許されない」として認められた事例もあります。まずは早急に社労士または弁護士に相談してください。
Q2. 会社が「残業はなかった」と主張しているが、タイムカードがない場合はどうすればよいか?
タイムカードがなくても、PCのログイン記録、交通系ICカードの履歴、メールの送受信記録、スマートフォンのGPS履歴、同僚の証言など、複数の間接証拠を組み合わせることで勤務実態を立証できます。労働基準監督署の調査権限を利用して会社からの資料提出を求めることも可能です。
Q3. 既往歴(高血圧)があって通院・服薬していた。それでも労災認定される可能性はあるか?
可能性は十分あります。高血圧の既往歴があっても、業務による過重負荷が血圧の急激な上昇をもたらして発症したと医師が評価できれば、業務起因性は認められます。令和3年改正の認定基準では、基礎疾患があっても「業務負荷が自然経過を超えて増悪させた」と認められれば認定されることが明示されています。主治医との連携が特に重要です。
Q4. 本人が意識不明・高次脳機能障害の後遺症があって手続きができない。誰が申請できるか?
配偶者・親・子などの家族が代理人として申請することができます。本人が成年後見人等の法定代理人のもとにある場合はその代理人が、家族が代理する場合は委任状や申立書が必要になる場合がありますので、労働基準監督署に事前に確認してください。社労士や弁護士に依頼することも可能です。
Q5. 労災認定されたら、会社への損害賠償請求も別途できるか?
できます。労災保険による給付と、会社への安全配慮義務違反(民法415条・労働契約法5条)に基づく損害賠償請求は別の制度であり、並行して請求することが可能です。ただし、労災給付を受けた分については損害賠償から控除される「損益相殺」が行われます。弁護士への相談をおすすめします。
まとめ|業務起因性立証の要点
過労による脳卒中の労災申請で業務起因性を立証するためには、「業務の過重性」と「医学的因果関係」の両方を証拠で示すことが不可欠です。重要なポイントを整理します。
| 立証要素 | 主な証拠 | 根拠法令・通達 |
|---|---|---|
| 業務の過重性(時間的負荷) | タイムカード・ICカード履歴・メール記録 | 基発第1063号(令和3年改正) |
| 業務の過重性(質的負荷) | 業務日報・出張記録・上司の指示記録 | 同上 |
| 医学的因果関係 | 主治医の意見書・MRI/CT所見 | 労災保険法5条 |
| 既往歴の増悪 | 健康診断結果票(複数年)・医師意見書 | 相当因果関係の法理 |
| 第三者証言 | 同僚・部下の陳述書 | 補強証拠として |
「既往歴があるから労災にならない」は誤りです。 業務が発症の一因を担っていれば労災認定の対象になります。時効(療養・休業は2年、障害・遺族は5年)がある制度ですので、できるだけ早く労働基準監督署、社労士、または弁護士に相談することを強くお勧めします。
一人で抱え込まず、専門家の力を借りながら、正当な権利を主張してください。

